今年の5月中旬、日本一周中に寄った輪島市黒島地区重要伝統的建造物群保存地区
令和6年能登半島地震の影響でかなりの被害が出ている模様です。
関連記事
3日目の記事はこちら [sitecard subtitle=関連記事 url=https://kutusitanai.net/2023/05/14/6464/ target=] 日本一周4日目(202[…]
日本一周出発前から、行きたいところリストに入っていた場所です。
輪島市黒島地区重要伝統的建造物群保存地区とは?
輪島市は能登半島の北西部に位置する。市西部の門前地域に含まれる黒島町は、江戸時代の大半を幕府領として支配された。
黒島集落は、西は日本海に面し、砂浜から東方の山裾に上る緩斜面に街道に沿って南北に長く形成される。集落の成立は16世紀前半と伝え、16世紀後期には廻船業を始めた番匠屋善右衛門が加賀一向一揆の用米を運んでいる。江戸時代に入ると北前船の船主が現れ、日本海航路による海運業の発展を背景に集落は成長を遂げた。江戸中期に15 0戸程の家数は、明治前期には500戸を超え、集落は街道に沿って南北に伸びて現在の町並みの骨格を形成した。保存地区は、東西約680m、南北約1300m、面積約20.5ha の範囲で、全盛期の頃の集落全域及びこれと関連する墓地等を含む。往時の道路や敷地割が良く残り、街道沿いを中心に伝統的な主屋が建ち並ぶ。
黒色の釉薬瓦、外壁の下見板張り、正面開口部に取り付く格子が町並みに統一感を与える。
輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区は、北前船の船主や船員の居住地として発展した集落である。
平成19年3月の能登半島地震で大きな被害を受けつつも、最も栄えた明治初期の地割を良好に残し、伝統的な主屋が敷地内の庭園や土蔵、社寺建築、石造物、樹木と共に歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。
石川県HPより引用
黒島集落は、西は日本海に面し、砂浜から東方の山裾に上る緩斜面に街道に沿って南北に長く形成される。集落の成立は16世紀前半と伝え、16世紀後期には廻船業を始めた番匠屋善右衛門が加賀一向一揆の用米を運んでいる。江戸時代に入ると北前船の船主が現れ、日本海航路による海運業の発展を背景に集落は成長を遂げた。江戸中期に15 0戸程の家数は、明治前期には500戸を超え、集落は街道に沿って南北に伸びて現在の町並みの骨格を形成した。保存地区は、東西約680m、南北約1300m、面積約20.5ha の範囲で、全盛期の頃の集落全域及びこれと関連する墓地等を含む。往時の道路や敷地割が良く残り、街道沿いを中心に伝統的な主屋が建ち並ぶ。
黒色の釉薬瓦、外壁の下見板張り、正面開口部に取り付く格子が町並みに統一感を与える。
輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区は、北前船の船主や船員の居住地として発展した集落である。
平成19年3月の能登半島地震で大きな被害を受けつつも、最も栄えた明治初期の地割を良好に残し、伝統的な主屋が敷地内の庭園や土蔵、社寺建築、石造物、樹木と共に歴史的風致を良く伝え、我が国にとって価値が高い。
石川県HPより引用
場所はこちらになります